父の突然死、母の大手術…作家・岸田奈美が“壮絶な学生時代”を語る

放送作家の #高須光聖 が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し、勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。2020年12月6日(日)の放送では、作家・岸田奈美さんが登場しました。

(左から)岸田奈美さん、高須光聖

◆どうしたらお父さんに謝ることができるのか…
高須:岸田さんの自著「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」(小学館)を読ませていただきました。
岸田:ありがとうございます!
高須:家族のお話を書かれていますよね。お父さんは何をされていた方だったのですか?
岸田:父は大手の不動産会社に勤めていたんですけど、阪神淡路大震災がきっかけとなって、「家を売る側じゃなくて作る側になる」と決心したんですね。それで、建築士の勉強をしてベンチャー企業でマンションのリノベーションを経営していました。

ですが、私が中学2年生の頃に心筋梗塞が原因で、父が突然死んでしまって。
高須:本にも書かれていましたね。39歳という若さで亡くなられたと。
岸田:まさか亡くなるなんて思ってもいませんでした。その頃の私は反抗期だったので、お父さんが亡くなる前、些細なことで喧嘩をしちゃったんですね。それで、最後に「お父さんなんて死んでまえ」って言っちゃったんですよ。そして、その夜に心筋梗塞になり、言葉の通りの結果になってしまったんです。
高須:つらい話やね。
岸田:そうですね。“なんでお父さんにあんなことを言っちゃったんだろう”って、ずっと後悔しています。かっこよくて仕事もできて尊敬できる父でした。“どうしたらお父さんに謝ることができるのか”と考えた結果、父と同じ経営者を目指すことを決意しました。
高須:中学2年生の頃に?
岸田:はい。とはいえ、中学生の考えなので「将来は経営学部に入ろう」ぐらいに思っていたんです。そうしたら、次はお母さんが私を大学に行かせるために頑張って働き過ぎちゃったんですね。その結果、大動脈解離という大きな病気にかかってしまいました。
高須:それは何歳ぐらいの話?
岸田:高校1年生でした。お医者さんから手術の説明があったのですが、「手術中に亡くなる可能性は8割を超えています」と告げられたんですね。そこで、選択をしなければいけなかったんですよ。手術を受けるか、モルヒネを投与して、亡くなる前に母と最期の会話をするか。そのどちらかしかなかったんです。
高須:すごい選択やね。
岸田:私には弟がいるのですが、生まれつき知的障害を持っていまして。なので、手術の同意のサインを私がしなければいけませんでした。
高須:すごい決断をくださないといけない状況やったんやね。弟のこと、お母さんの命、これからの自分の未来、いろんなことがグルグルと駆け巡るよね。
岸田:私はずっと父に言ってしまった言葉を後悔していたので、母には死んでほしくなかったんです。なので、手術することを選びました。心臓を動かすことを最優先した結果、手術は成功しました。しかし、下半身にマヒが残り、母は一生車椅子が必要になってしまったんですね。
高須:すごい話やね。
岸田:そうですよね。私ってね、人生の前半が暗いんですよ(笑)。
◆母の「死にたい」が「生きていてよかった」になった
高須:手術のあとは、弟さんとお母様を“養っていこう”というふうに気持ちが固まっていったのですか?
岸田:当時の私はそこまで考えることはできませんでしたね。1番つらかったのは、お母さんのリハビリでした。自分の体を動かしたり、車椅子を操作できるようになるまでに1年かかりました。それでも、リハビリ中のお母さんはいつも笑っていて「命が助かっただけでもよかったわ」って言ってくれたんですね。
高須:すごいねえ。
岸田:だけど、実は“ずっと病室で泣いていた”ことを、あとで知ってしまったんです。「私が手術に同意してしまったからこんなことになってしまった」って、やっぱり考えてしまいましたね。
高須:歩けないということは、これから娘に負荷がかかってくると思われていたんでしょうね。だからこそ、娘の前では落ち込んだ顔を見せるわけにはいかなかったんでしょう。
岸田:生き地獄ですよ。
高須:だけど、生きていてよかったんですよ。死んでしまったら、そこでその人の人生は終わってしまうんですから。
岸田:だけど、当時の母はそういうふうに考えることができなかったんです。ある日、母は泣きながら「ごめん、奈美ちゃん。本当は私、死にたい。自殺することを許してほしい」と私に言ったんです。私のせいでお母さんは苦しんでいるから、一言目は「わかった。死んでもいい」って伝えたんですね。だけど、言葉にした瞬間に“死んでほしくない”って気持ちが湧き上がってきちゃったんです。
高須:本心が出てきたんだね。
岸田:だから私、視界に入るもので“説得力のあるもの”を必死で探したんですよ。そうしたら、うしろにあったポスターに「ドリームジャンボ2億円」って書いてあって。その言葉を見て私は「お母さん、2億%大丈夫やから。“生きていてよかった”って思わせられるように、私が何かするから」という言葉が出てきたんです。お母さんは私の言葉にビックリしていましたね(笑)。
高須:そこで、お母さんは気持ちを切り替えることができたんやね。
岸田:“死んでもいい”っていう気持ちを受け止めてもらえたことが嬉しかったみたいです。人って、不思議ですよね。あとから知ったのですが、実はお父さんも私と同じようなことを言ったらしいんですよ。私がエッセイを書くようになってから、お母さんが教えてくれたんですけど、
知的障害のある弟が生まれたとき、「ダウン症の子の育て方がわからない。この子と一緒に死んじゃうかもしれない」と母が口にしたらしいんですね。そうしたらお父さんは「親とか関係なく、育てられないなら施設に預けたっていい。俺はひろ実ちゃんのことが大事やねん」って言ったんです。ひろ実はお母さんの名前です。
高須:すごい話やね。
岸田:お父さんの言葉でお母さんは「ここまで私の苦しみをわかってくれる人と一緒なら、何とかなるかもしれない」と思って、弟を育てることを決心したそうです。
高須:すごいね、お父さん。
岸田:でもね、今の私ならお父さんのことがわかるんです。そのときの言葉は適当に出てきたものなんですよ。
高須:(笑)。適当に言ったことだったとしても、それが見事に奥様の心に響いたんでしょうね。
岸田:貯金もなければ進路も決まっていない。だけど、そこから「大丈夫なようにしなければいけない」と思えるようになったんです。大学に入ってからはバリアフリーの勉強をして、大学1年生の頃にバリアフリーのアドバイスをするベンチャー企業の立ち上げに参加しました。
そして、創業して3年目のときに、足の不自由な人に対する接客方法を教える講師の仕事を、車椅子に乗っているお母さんにお願いしたんですよ。はじめての講習が終わった帰り道、お母さんから「車椅子に乗っている私に向かって、ありがとうと言ってもらえた。生きていてよかった。奈美ちゃんありがとう」と言われました。言葉にできない幸せを感じることができましたね。
<番組概要>
番組名:空想メディア
放送日時:毎週日曜 25:00〜25:29
パーソナリティ:高須光聖
番組公式Facebook:https://www.facebook.com/QUUSOOMEDIA/

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父の突然死、母の大手術…作家・岸田奈美が“壮絶な学生時代”を語る