ずっと僕は「柳生博の息子」から逃げていたけど、父こそ「普通」であることを大事にしていた。父はこれからも変わらぬ笑顔で、八ヶ岳の自然と僕たちを見守り続けてくれる<後編>

「経営のために帰国したわけですから、僕はいきなり社長になりました。スタッフにしてみれば、日産にある日カルロス・ゴーンがきたようなもの。」(撮影:本社・中島正晶)

八ヶ岳 柳生博 息子 経営 帰国