沢田研二が周囲を覚醒させた「ある言葉」とは。敵・阿久悠が最高の味方になった75年、ポップス界の覇権はジュリーの手に握られた

日本の音楽シーンの黄金期と呼ばれる1970〜80年代に、スーパースターとして君臨し続けた 沢田研二 。「ザ・タイガース」でグループサウンズの最前線で活躍した後、1971年にソロデビュー。日本歌謡大賞などを受賞し、数々の記録を打ち立てた。今年の6月25日に75歳を迎え、同日にさいたまスーパーアリーナで『まだまだ一生懸命』ツアーファイナル・バースデーライブを行うなど、半世紀にわたって歌手・俳優として人々を魅了し続けるジュリーが歩んだ日々の裏側に迫る。ソロデビュー後6枚目となるシングル「危険なふたり」からさらに勢いをつけて、彼がポップス界の覇権を握るまでの道のりとは——。

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